昨日に続き

YOHI HOME PAGE
リンク先は音が出ますので注意。チカラが抜ける音楽ですが :onpu:

についてです。

鳥居の西暦をみると1946と記されているので、この「YOHI」と呼ばれている同窓会はどうやら終戦の翌年から綿綿と受け継がれているようです。ご覧いただければわかりますが、赤い「Y」と「K」の下の書いてあるのが学校名ですね。
そして「K」の下の学校名を見たときにどんな同窓会なのかなんとなく予想できました。どうして予想できたかと言うと、そのむかし写真を撮っていたんです。
写真は1982年に撮影したものなので「MIDDLE」となっていますが、、、

NILE C KINNICK HIGH SCHOOL

さらに、ページを下にスクロールしてみたところ「予想」は「確信」に。

それぞれのベースにあった学校

学校だけではなく、上の写真のオーバーレイがかかっていない二つの地域をかつて私は撮影していたのでした。
どんな場所だったかというと、それは米軍のベースキャンプ。

ここから先は地方のはなしになってしまうので、横浜もしくはその近郊にお住まいの方にしかわからないような内容になってしまうかもしれません。ごめんなさい。

「NASUGBU」というのは、現在では「マイカル本牧」(神奈川県横浜市中区本牧原)がある地域周辺、もうひとつの「Nagai Heights」(神奈川県横須賀市長井)というのは、三浦半島の相模湾側、荒崎のそばにある小高い丘のような地域です。

どうしてそんなところの写真を撮ったかと言うと
「Nagai Heights」のほうは運用されている時期に中に入ったことはありませんでしたが、本牧や小港周辺にあった施設は、知り合いを通じて、まだ人が住んでいる時期にたまに出入りしていまして、ちょっとした思い出がある場所でした。

同時に、ベースキャンプ周辺には当時若造だった私にとって、「怖い店、入りたさ」とでも言うのでしょうか、意を決しないとお店の扉の取っ手にも手を掛けられないような魅力的なお店が結構ありまして、そのベースキャンプがある地域全体が10代後半から20代前半にかけての思い出の場所だったんですね。

そして、本牧にある米軍施設が日本へ返還されることが決定し、その後取り壊されることが本決まりになったとき「写真に撮っておくべきだろう」と迷うことなくカメラを持って出掛けたわけです。
そのころちょうど写真を始めたときで、いま見ると単なる記録写真という感じがなんともかんともお見せするのがハズカシイ(苦笑)

施設内は立ち入り禁止となっていましたが、「カメラを持たなきゃタダの人、カメラを持ってりゃ気分はパパラッチ :camera: 」金網乗り越え前進あるのみ。人気(ひとけ)のないちょっと廃墟化した施設にはたまに恐怖もおぼえましたが、モノクロフィルムに定着させるにはなかなかいい被写体でありました。

この先まだもうちょっとあるので、それはまた明日にでも。

ところで「YOHI」ってどういう意味でしょうかね ❓
Yokohamaの「Yo」、Yokosukaの「Yo」、それに「Highschool」の「Hi」を引っかけて「YOHI」なのかなぁ。
なんて発音するんだろ。。。「ヨハーイ」? :ase: 「ヨッハ~イ」 :up:
それとも「ヨ~ォ、ハァ~ィ(^^;)/」かっ ❓